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高森明勅
2020.5.21 05:12皇統問題

継体天皇は「皇族」として即位

歴代天皇の中で、天皇との血縁が飛び抜けて遠かった継体天皇
(26代、応神天皇の5世の孫)。
しかし、決して皇族(王族)の身分を失っていなかった。
それを証明するのが、和歌山県の隅田(すだ)八幡神社に伝わる
人物画像鏡(国宝)だ。
同鏡の銘文に記されている
「癸未年(きびねん、みずのとひつじのとし)」
という年紀を何年に比定するか。長く見解が分かれていた。
しかし近年、ようやく西暦503年と見る立場でほぼ一定したと言えよう
(山尾幸久氏・平野邦雄氏・車崎正彦氏など)。ならば、同銘文に出て来る「男弟(おおど)王」は、即位前の継体天皇を指すと理解する他ない(その即位は507年)。ここで注目すべきは、確かな同時代史料に、“王”という称号を付けて呼ばれていた事実だ。これは男弟王その人が、紛れもなく君主の血筋を引く人物であり、しかもその一族としての身分を認められていた事実を示す。一時、学界で影響力を持った継体「新王朝」=王朝交替説は、同銘文の史料性が否定されない限り、成立し難いだろう。又、既に皇籍から離れた人物が即位したのでもなかった。この点は確認しておく必要がある。それでも天皇からの血縁の遠さ故に、直系の血筋を引く手白香皇女
(たしらかのひめみこ)に“入り婿(むこ)”する形で、即位することになった。
なお継体天皇は即位前から、近江・尾張・畿内など広範な豪族層と
提携していたことが、知られている(水谷千秋氏)。

同天皇が皇位継承候補者として浮上したのは、ただ「男系男子」
だったからという単純な話ではなく、本人のそうした政治的力量を
背景としていた。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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